Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

地上の星

中島みゆきさんの地上の星という歌があります。

www.youtube.com

NHK総合テレビプロジェクトX 挑戦者たち」の
主題歌ということで、wikipediaによるとみゆきさん
のシングルの中でも1994年発売の「空と君とのあいだに
/ファイト」に次ぐ2番目の売れ行きであったそうです。
私は基本暗いので(!)、みゆきさんの歌は好き
なんですが、この歌がリリースされた2000年頃
からは特に理由もなく「みゆき離れ」を起こして
おり(当時研修医でしたので、それどころではなかった
かもしれません)、この「地上の星」も、「あぁ、確かに
売れそうなメロディだな」と思ったくらいで特別
印象には残りませんでした。

ただ、ここ最近、これまた特に切っ掛けなく自分の
中で静かな「第2次みゆきブーム」が起こっており、
当時より自分がかなり歳をとったこともあり、一層
歌詞の重みを感じながら聴いています。

実は今義理の父親の体調がとても悪く、入院先の病院で
いつ何が起こってもおかしくないという病状です。
一昨日妻から、義姉が父のことを考えながら「地上の星」を
聴いているらしい、と何気なく言われました。
そう言えばこの歌はあまりじっくり聴いたことがなかったなぁ、
と思い改めて聴いてみました。

みんな何処へ行った 見守られることもなく
地上にある星を誰も覚えていない
人は空ばかり見てる
つばめよ遠い空から教えてよ地上の星
つばめよ地上の星は今どこにあるのだろう

すると、まずこの「みんな何処へ行った 見守られる
こともなく」にドキッとしてしまいました。「みんな」
は何を指しているのでしょう。

「人は空ばかり見てる」の歌詞は、みんな星というと
手の届かないところで輝く、きれいな星を想像し、
憧れたり追い求めたりする。でも、地上の星、目立たず
地味に輝いている、生命や人生の輝きを言っているのかな、
と思いました。

ところで今、Twitterで今お世話になっている海月 要
さんが、施設で出会い、生き、亡くなっていった利用者
さん達との思い出をもとに、「星々の記憶」という小説に
されています。多くの命が、魂が最後の輝きを見せ、
そして消えゆく物語がとても優しく繊細な目を通して
描かれています。

老い、介護、看取り。

ひとつひとつがすぐ読める短編小説のようにになっています
ので皆さんにも是非読んでみて下さい。

https://ncode.syosetu.com/n6440ej/

ブログを書く前に更新に気付き読ませて頂いたのですが、
海月さんがつけた「星々の記憶」というタイトルに
今更ながら海月さんの想いを感じ、また自分自身
元気な時に優しく接してくれた義父や、看取らせて頂いた
患者さんのことを考えたりしました。

老いと「受容」

私は患者さんが病気や死を受け入れるか、それ自体はどちら
でも良いと考えています。投げやりな意味ではなく、それは
患者さんの価値観や生き方によるからです。過去のエントリーでも、
kotaro-kanwa.hateblo.jp

kotaro-kanwa.hateblo.jp

この辺りで書かせて頂きました。

実は緩和ケアを始めた頃は、受容は若い人にはきっと難しく、
戦争や長い苦難を生きて来られたご高齢の方は自然に受け入れ
られるようなイメージを持っていました。
しかし、実際は逆でした。

若い方は、病気と向かい合う、闘う道を選ばれる方も多い
のですが、同時に死についてもとてもよく考えておられ、
私たちにもお話になります。もちろん、ご性格も大きく
関係するのですが、お歳になればなるほど死と向き合い、
語ることが難しくなるようです。話を逸らしたり告知を
忘れてしまったかのような態度をとられる傾向があると
感じます。

これは、ある意味無理もないことなのだと思います。
病気や死を受け入れることは恐らくとてもエネルギーが
必要で、思考力や強い心の状態が必要なのでしょう。
だから、それで良いと私は思っています。

そしてこれは、家族の死を受け入れるということにも
どうやら関係しているように思うことがあります。

いつも難しいと感じるのは、家族も高齢で理解力が落ちており、
身近な人の死に直面したことがない場合、枯れるように亡くなる
ことを知らないし理解出来ないので、毎日点滴しろだなんだと
言ってきます。いやいやもう限界なんだけどがわからないんですね。
家族の気持ちが本人苦しめるのかも。

これは昨日、Twitterで私にコメントを下さった介護支援専門員
の方の言葉です。私もそう感じることがよくあります。
これもまた仕方がない部分もありますが、配偶者がまさに死の淵に
あってもそれが理解出来ない。あるいは頭では理解されている
かもしれませんが、受け入れることが難しい。治ると思っていて、
諦めたらかわいそう、というお考えのようです。

私は先ほど、病気や死を受け入れることは「どちらでも良い」
のではないかと書きました。しかし、家族や医療者については
ある程度受け入れが必要で、それが出来ないと患者さんは長く
苦しむことになってしまいます。特に医療者が正確な判断が
出来ないと話にならず、患者さんは本当にお気の毒です。
良い譬えではないですが、勝てない戦争を無理に戦わせている
ようなものです。

もちろん家族の死を受け入れることは困難であり痛みを伴う
ものです。本来はそこで医療者が、あるいは医療者に代わる
誰かが時間をとり、家族の声を聞くことが必要になります。
ホスピスの多くはチャプレンや神父がその役割を担います。
もっと、言葉が必要です。

分子栄養学、その後

昨年11月のブログで、私の分子栄養学、
『オーソモレキュラー』などと呼ばれる分野について
思うところを書かせて頂きました。
何、それ?という方はお手数ですがこの記事をお読みください。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

新しい栄養学に対して期待をすると共に、
やや医療批判・宗教的になりやすい性格を持っている
という自覚を持って学びたいという気持ちを書いています。
この姿勢は今もあまり変わっていないつもりです。

しかし、私は学びや経験の中で確かに月経のある女性や成長期
の子供たちの精神症状、例えばうつやパニック発作発達障害
の「少なくとも一部」には、たんぱく質や鉄・ビタミンB群など
を摂取して頂くことにメリットがあることは、ほぼ疑いは
ありません
。もちろん、私の経験も二重盲検ではないので、
強力なプラシーボが働いたとか、たまたまお子さんの成長などほかの
因子が重なったということもあり得るでしょう。
ただ、月数百円から高くて数千円で、治療と並行して行う
ことの出来る方法ですから、失うものは決して多くはなく
試してみる価値はあると私は思っています。

最近では、高齢者の認知症やBPSDに栄養学的なアプローチが
出来ないか、ということにも興味があります。もちろん栄養学
認知症が治るとまでは思っていません。
ただ、アルツハイマー認知症の発症に高血糖が関与している
ことはほぼ疑う人はいないと思いますし、
ココナッツオイルが症状改善に有効などと盛んに言われています。
成書でもtreatable dementiaの中でビタミン欠乏症が挙げられています。
特定の栄養の欠損・過多が認知機能や周辺症状に関係があるかも
しれない、と考えるのは、それ程荒唐無稽なことでしょうか

それこそ全くエビデンスのない分野ではありますが、鹿児島で
開業をされている、ひらやま脳神経外科の平山先生や、
長久手南クリニックの岩田先生は既に認知症治療に栄養学的な
アプローチを加えておられます。お二人のブログは、

www.ninchi-shou.com

plaza.rakuten.co.jp

奇しくも、お二人ともコウノメソッドの実践医で脳外科
という共通点をお持ちです。

他にも、高齢者の様々な症状に亜鉛欠乏が関与していると
報告している倉澤先生のサイトがあります。

www.ryu-kurasawa.com

というわけで、私も新しい栄養学の学びを続けていきたい
と考えています。