Not doing but being

東京都大田区で開業している訪問診療医のブログ。主に緩和ケア、認知症、訪問診療、介護、看取り分野の話題です

身体拘束は減らせるか

高齢者への身体拘束とは、施設や病院などで、認知症などの
高齢者を、「治療のじゃまになる行動がある」、あるいは
「事故の危険性がある」という理由で、ひもや抑制帯、ミトン
などの道具を使用して、ベッドや車椅子に縛ったりすること
をいいます。部屋に閉じ込めて出られないようにする、あるいは
向精神薬を飲ませて動けなくすることも身体拘束となります。

上記は、「全国抑止廃止研究会」のサイトから引用させて頂き
ました。患者さんの身体的自由を奪う身体拘束。これは虐待に
当たるのではないかと廃止を求める声があちこちで聞かれます。

しかし、病院からすれば治療の実施と安全の確保のために身体
拘束はどうしても必要な行為と考えられています。車や飛行機
に乗る際、自分でシートベルトを締められない子供や認知症の
方には皆何も躊躇することなくベルトをするはずです。病院
でも同様に安全着・安全ベルトが必要なケースはないでしょうか。

病院は治療の成功のために神経を使いながら、多くの部屋に
いるたくさんの認知症高齢者・精神疾患の患者さんの安全を
確保しなければいけません。実際に病棟の看護師が目を
離した隙に転倒・転落し過失と判断された裁判が過去にあり
ます。トイレ介助を拒否され、転倒し大腿骨を折る事故でも
病院の過失が認められたことがありました。これでは法も
身体拘束を後押ししているようなものです。中には混乱し
徘徊・暴力・器物の損壊などもあり、拘束をなくすという事
はそれ程簡単なものではないように思います。

ちなみに、「身体拘束」の理解は拡大しており、センサーマット
やカメラによる監視、「ここにいて下さい」というお願い
まで拘束だという人もいるようです。

もちろん、医療者も好きでやっている訳ではありません。抑制
すると医療者は楽、と考えられがちですが下着の交換や保清、
「実に面倒な手続き」が増えるなど別の労力が増えます。ただ、
安全には代えられないと思うからやっているのです。それ以前に
治療の意味が理解出来ず泣き叫んでいる高齢者を見ると、
「自分は何をやっているんだろう」と悲しい気持ちになると
いう医療者の葛藤の声もとても良く聞きます。

最近20代のニュージーランド人の男性が、精神疾患の治療で
神奈川県の病院に入院中に肺塞栓症で亡くなるというニュース
がありました。不当な身体拘束の結果ではないかとの声が
あがっているようです。この問題を沖縄県立中部病院の高山
義浩先生が御自身のブログで取り上げておられます。易しい
書き方で、病院の職員の立場も理解された上で、抑制を減らす
ために出来る事から始めてみませんか、という立場で書かれて
います。私も同意見です。

www.huffingtonpost.jp

身体拘束は、廃止出来るならそれに越したことはありません。
しかし、代替案なく廃止など出来るはずがありません
家族が24時間付きますか?それとも社会保障費を増やして
職員を増やしますか?(倍に増やしても追いつかないとは
思いますが)。抑制が必要な方は退院にしますか?特に
部外者で隔離・身体抑制に反対の方は、どうやら反対するだけで
「何か良い事をした」と思い気持ち良くなってしまうのか
現実的に、親身に提案・協力をして下さる方はとても少ない
ように私は感じています。提案があっても、「看護師が患者
の隣で記録を書けば良い」という程度の、机上の空論です。
そんな事で解決するなら、とっくにやって解決しています。

正直、拘束をしない事が過失になる可能性がある以上、
今の状況が大きく改善するとは私には思えません

しかし、高山先生が書かれている通り、医療者も
まずは何度も話し合い、出来ることから始める、であれば
拘束を減らすことは出来るかもしれません。また高率で
拘束が必要になる経鼻栄養等の医療行為を減らすことは
出来ないでしょうか。人生を終えようとしている
患者さんを拘束してまで点滴は必要ですか?

また、訪問診療で自宅で出来る限りの治療をする、という選択肢も、
もう少し考えてみても良いのではないかと思います。

「なんとめでたいご臨終」で私が感じた違和感

なんとめでたいご臨終

なんとめでたいご臨終

昨日、この本の紹介をさせて頂きましたが、本日は
その続きです。書籍の主旨には賛同しますし、決して
ケチを付ける目的ではありませんが少々否定的な
書き方になりますので読みたくない方は今日の記事は
飛ばして下さい。

その前に、まず訪問診療医として長年活躍された後、
自らも末期がんで在宅医療を受けることになった、
早川一光医師について私が書いた記事を御紹介させて
頂きます。

kotaro-kanwa.hateblo.jp

「畳の上での養生は天国」と説いて来た早川医師。自ら
が患者の立場になった時に、「こんなはずじゃなかった」
とおっしゃいました
。早川先生はこう続けます。

畳の上にも「天国」と「地獄」があると知った

とてもリアリティーのある言葉だと思います。ちなみに
早川先生は療養中に肺炎を起こしますが、この時には
在宅医療ではなく入院を選択されています。

「なんとめでたいご臨終」は、在宅医療の「天国」の
部分しか書かれていない
。これが私の一読した時に
感じた違和感のもとではないかと思いました。

同じく在宅医のめぐみ在宅クリニック院長、小澤竹俊先生
の、「100点中10点でも、good enoughと考えよう」という
言葉も、在宅医療の難しさ、奥深さを物語っているのでは
ないでしょうか。

ただ、確かに小笠原先生は在宅緩和ケアを推進する
お立場でこの本を書かれたはずですので、良い事例
ばかりを挙げているのも自然ではあります。わざわざ
御自分の言いたい内容を否定する記事を入れる必要は
ありません。いわゆる症例報告のようなものですから、
コウノメソッドの河野先生がメソッドの成功事例を
集めて紹介することと何ら変わりはないと思います
(「なんとめでたいご臨終」では後半に上手く
いかなかったケースの紹介もありますが、全て
「最後に残念ながら入院になってしまった」話ばかり
で、在宅医療そのものでうまくいかなかったケースの
紹介ではありませんでした)。
ただ、あまりにも良い例ばかりだと、中には
在宅を選んだ後で「こんなはずじゃなかった」
とおっしゃる方もいらっしゃるかもしれません。

本の中で紹介されている、行われている医療の内容は、
特別なものではありません。モルヒネの持続皮下注、
ステロイドの使用、ゾメタにサンドスタチン。「夜だけ
眠る注射」はドルミカムの持続皮下注を言っているもの
だと思います。

医療的な内容になりますが、この中でゾメタはもともとSRE
(骨有害事象)の予防目的で使うもので骨転移の疼痛に対する
効果はガイドラインを見れば分かる通り非常に限定的です。
腸閉塞の「特効薬」と紹介されているサンドスタチンは最近
の知見では効果そのものを疑問視する声もありますし、初め
は切れの良いドルミカムも連日使用すれば次第に体内に蓄積し、
目覚めが悪くなります。ステロイドでは「ソル・メドロール」
にこだわりがあるようですが、これはメチルプレドニゾロン
ですので、プレドニンと大差ないはずです。半減期は8時間
ではなくて12~36時間です。

何が言いたいかと言いますと、小笠原先生はそんなに特別な、
優れた治療をされているという訳ではなさそう、ということです。

在宅医療も他の医療と同様に未完成で不完全な医療です。
在宅を選べば即Happyという、単純なものでは決して
ありませんが、それでも患者さんの表情を見ているだけで
「多くの方にとって病院より在宅が良いに決まっている」
という気持ちになることは私も同じです
。私はなかなか
小笠原先生のように根拠もなく「大丈夫だよ」とは言えない
のですがきっと患者さんや御家族が聞きたいのはこの言葉
であり、小笠原先生の笑顔が在宅医療を「大成功」に
導いているのも恐らく間違いないでしょう。

なんとめでたいご臨終

なんとめでたいご臨終

なんとめでたいご臨終

在宅医、小笠原文雄先生の著書。
すごい売れ行きでAmazonでは早々に品切れになって
いました。もうすぐ重版が出るようですが、私は
kindleで読ませて頂きました。

患者さん御本人が自分の希望・納得・満足の中で
迎える最期は決して不幸ではない
。お別れは寂しい
かもしれないけれど、御本人も御家族も笑顔で最期
を迎えることが出来るんです。簡単に言えば、それが
この本の内容です。そんなエピソードが詰まった本です。

これまでは、いや、今でもそうですが、末期がんや老衰
でご飯が食べられなくなれば入院が当たり前でした。
点滴だ、酸素だ、抗生剤だ、痰が多ければ吸引だ。
処置に抵抗すれば、身体拘束が必要です。
血圧が下がったら昇圧剤。ついに呼吸が止まれば挿管、
人工呼吸器。さすがに昇圧剤と人工呼吸器は最近は見なく
なりましたが、あらゆる「死なない」ための医療行為が
施され、多くは苦しみの中で最期を迎えることになります。
「がんは最期は苦しむ」等というイメージは、実は
がんが問題ではなく延命行為こそが人の死を壮絶に
していた、というだけの話
だったのです。
ここ最近になり、ようやく病院で迎える最期に医療者
でない方々からも疑問の声が上がるようになりました。

この本を読むと本当に分かると思いますが、人間って
「心の状態」だけでこんなにも大きく変わる
ものなのです。
病院では特に「これをしたい」という患者さんの希望が
「危ない」、「無理だ」、「寿命が短くなる」等と色々な
理由で禁止されてしまいます。味気ない食事、それすら
も「誤嚥する」と取り上げられ、話し相手もおらず、毎日
天井を眺め死を待つ生活。すぐに「生きていても仕方ない」
と思ってしまうでしょう。ここは考え方次第です。
もし旅行に行って、途中で亡くなってしまったとしても、
小笠原先生が言われるように「希望の中の死」であれば
それはそれでHappy Endではありませんか

まして、これは本の中にもありますが希望の中にいる患者
さんは不思議としばしば長生きです。これはエビデンスは?
と言われると困るのですが、在宅をされている先生であれば
このように実感するのは日常のことだと思います。

そして、「在宅が良さそうなのは分かったけれど、実際には
難しい」と思われるケースが、実はやってみると大概うまく
行くという経験がたくさん載っています。もちろんこの本に
載っているように全てがうまく運ぶことばかりではないでしょう。
しかし心配ばかりしていては在宅医療は出来ません。理解と
ちょっとの覚悟があれば、めでたいご臨終の可能性は多くの
方に残されているのです

さて、素晴らしい本である事に間違いはないのですが、同じ
在宅医として違和感を感じる部分がない訳ではありません。
次回はそのことについてお話出来ればと考えています。